（この文章は、フィクションです）

　定年を間近にした頃、三つ年上の姉の病気を知った。

前兆は、姉が50歳頃のことだった。視覚から変調が出て、ものが見えにくい。二重に見える。ある開業医に見てもらった、診断結果が本人と家族に衝撃を与え、総合病院で、再診察を受けた。脳の萎縮の傾向が見られるが、大きな問題はないという診断結果に、家族は、その診断に胸を撫で下ろし、すがりついた。母は、元の身体に戻して欲しいと、涙を流していた。

姉は、更年期を迎えていたし、この時期特有の身体に起こる変化だと、本人も家族も思いたかった。記憶も、日常の動作も、どうという支障もなく、時間が過ぎた。

15年ほど経った頃、はっきりした症状が顕れた。やはり、物の見え方に関する異変で、平らなはずの床が、波打って見える。活字はわかるけれど、飾り文字が何を書いてあるかわからないと言う。達筆だった文字も乱れた。眼科による検査と診断では、目の機能そのものは正常、視覚情報を脳に伝え、認知する力に問題があることがわかった。若年性アルツハイマー病。

　私が実家に通うようになったのはその頃からだった。一ヶ月に1度が2週間に1度になり、やがて1週間に1度になった。

　「つばめホテル」は、姉の同窓生の姉妹が持つ家族経営のホテルで駅の南側西寄りにある。昭和半ば頃まで、旅館として生業していた。駅から歩いて5分、そこから実家まで7分ほどの場所にあって、国道1号線と鉄道の高架橋の近く、古くから豊な水が湧き出たという泉町と隣接している。

安西方面から静岡市街を貫いて流れる用水として駿府の町が整備された名残りかもしれない。戦後暗渠になったか、埋められたか、小川を見ることはできない。つばめホテルの前を流れ、応神天皇にゆかりのある伊河麻神社の脇を流れて南の登呂方面に流れていた。水はやがて駿河湾へ向かう。

静岡市内には、北から南へ流れるこのような小川が幾筋もある。安倍川の治水整備によって、いくつも生まれたものと思う。

2024年、25回忌を迎える父が亡くなって以来、私は実家に寝泊りすることをしなくなった。なぜ実家に泊まらない。